母の服、父の財布、使わなかった食器、読みかけの本。どれを手に取っても「これを捨てたら、親を捨てる気がする」と思えて、最初の1年はほとんど何も動かせませんでした。この記事は、その1年で私が何を考え、どう変わったかの記録です。
遺品の厄介なところは、物としての価値と、記憶としての価値がまったく別物だということです。市場では価値がゼロのものでも、こちらには重さがある。
結局わたしは、段ボール十数箱をそのまま1年寝かせました。実際にやってみて分かったのは、寝かせること自体は悪くないということです。ただし、その間も部屋は使えないままで、片付けは止まります。
あるとき、自分が嫌だったのは「物を捨てること」ではなく、「記憶を手放す気がすること」だと気づきました。
物は残っていても、母の声や温度はもう残っていません。それでも、服がぶら下がっているだけで「まだある」という気がしていた。捨てる=忘れる、という等式を、自分で勝手に作っていたのだと思います。
「物を手放す ≠ 親を忘れる」
むしろ、忘れないために物を全部残そうとすると、家が使えなくなり、結果的に日常が壊れます。家族の生活が壊れるのは、たぶん亡くなった人も望んでいない。
「全部残す」を選んだ場合、現実にはこうなります。
「全部捨てる」は、その日の気分でできますが、後から悔いが戻ってくることがあります。私の場合は、全部残すを1年やってみて、全部残すのは無理だと身体で理解しました。折り合いをつけるしかない、というのが結論です。
いちばんハードルが下がった方法がこれです。私は、手放す前に必ず写真を撮るようにしました。
写真フォルダに「母のもの」というアルバムを1つ作り、あとから見返せるようにしました。物は無い、でも記録はある。この状態にできると、罪悪感がかなり軽くなりました。
※写真に残していても、現金・通帳・保険証券・権利書などは処分する前に必ず内容を確認し、必要なら専門家に相談してください。相続に関わる書類は後から探すのが非常に大変です。
1年かけて3割ほど減らしたころ、家の中に入ったときの空気が変わりました。それまで「まだ終わっていない」感じがしていたものが、「少しだけ片付いている」に変わるだけで、体が軽くなる感覚がありました。
無理をしないことがいちばん大事です。1日1箱、それも無理なら1週間に1箱で十分です。ただし、物量が現実的に自分の手に負えない量(家全体+物置+屋外など)であれば、そこはもう「気持ちの問題」ではありません。
気持ちの整理は自分。物の処理はプロ。私はこの2つを分けてから、ようやく前に進みました。量が多くて選別すら追いつかないときは、まず相場を知って選択肢を増やすのが現実的です。
実家の片付け・遺品整理のお申し込み後、ご登録の連絡先へ業者から確認の電話が入ります(見積もりは無料です)。「WEBだけで完結」「営業電話ゼロ」をお約束するサービスではありません。
捨てられない自分を責める必要はありません。それは、それだけ大切に思っていた相手がいた、という事実です。時間を使って、自分の順番で進めてください。